私はなぜブログを書こうと思ったのか。どうせなら収益ねらう?
秋晴れが続いていますね!!
皆さんお元気ですか?
今日は、ハロウィン。
車はヒックリ返さないでほしいですね!!
私はというと、ここ最近Badな出来事にあい、自分自身を見失いかけていました。
なので、ブログの更新も滞っていたわけです・・。
今回は、その「Badな出来事」→「自分自身の消化」→「生きる意味とブログ」→→「まとめ・本の紹介」で書いていこうと思いますね。
勿論、本の紹介もあります☆
恐ろしい出来事
そう約2週間前のことです。幼稚園がお昼前で終了したので、車でお迎えに行きました。そのまま、近くのスーパーへ行こうと考えていました。幼稚園の子どもは、どうも機嫌が悪く、「眠い!!」「ごはん買わないで帰る。」「お家へ帰るー!!」と言っていました。
私は、どうしてもお昼を用意する気がなかったので、お昼を買って帰りたかったのでした。
スーパーの駐車場に車を止めると、子どもは「行かない」「待ってる」と言いました。下の子も一緒に待たせようかと思いました。しかし、思い直し「やっぱり一緒に行こうよ」と提案しました。
下の子は「行く~」と言いましたが、上の子は「行かない~やだ~」とぐずり気味。
仕方ないので、上の子を来る前に残して買い物に行きました。その時、車のカギは閉めませんでした。
買い物をして戻ってくる際に、遠めでも子どもの様子が見えました。ウロウロしているようで様子がおかしい!!
心に黒い雫がポトリ・・
私の感は「何かあったな」と告げていました。
案の定、車のドアを開けると、泣きはらした目、「ママと行くの~」と泣いています。
どうしたのだろう・・何か様子が変・・
「誰か来たの?」と聞くと
コクリと頷いた子ども。
「誰か、窓のぞいていた?」
「うん」
「なんか言ってた?」
「お菓子あげるからおいでって」
「え??」
「お菓子あげるからおいで?っていったの?」
「うん」
「ドア開けてきたの?」
「うん。お話聞いてくれなかった。お菓子あげるからおいでって。行かないっていったの。」
と一生懸命話してくれました。
「どんな人だった?太ってる?やせてる?」
「太ってた」
「どんな格好してた?」
「パパみたいなかっこ」
・・・・
私は、とても内心動揺していました。
激しい後悔と驚きでいっぱいでした。そこですぐに、警察に電話することができず、一度その場を出ます。
しかし、未遂とはいえ、警察に通報し周知しなくてはいけないと思い帰宅後に警察に連絡しました。
子どもは、とにかく抱きしめてばかりいました。
「よく付いていかなかったね」
「ごめんね。怖かったね」と。
「うん、怖かった」( ;∀;)
私は、足元に震えが止まらず、体に力が入らない状態でした。
「あの時、なんで買い物に連れて行ったの。いやだって言ってたのに」
「なんで置いてったの!」
「連れて行けばよかった」
「連れていけば良かった」
「くそ!!!」
「もし連れていかれていたら・・怖かった」
と次から次へと自責の念と後悔。
ひたすら・・沸き起こってくる。
「ああ、こうやって人は自分を責めるんだ」
と思いました。
子どもの心のケアもしつつ、
自分の精神状態、このままじゃヤバイな・・と感じていました。
とにかく、何をしていても「今」でなく「その時」(過去)に意識がいってしまうのです。
現実感がない。
落ち着いて、落ち着いて、深く息して
「大丈夫、「今」ちゃんとここにいる」
「もしいなくなってたら、失っていたかもしれない」
この繰り返しです。
もう、全てが「自分の中で止まって」しまいました。
自分自身での出来事の消化
その夜、パパが帰宅して子どもを抱きしめました。
「よくついていかなかったね。偉かったね」と。
驚きました。私は自分自身の「弱さ」と戦っていて、子どもをケアしながらもベクトルが「自分自身」に向かっていたので、パパの第一声を聴いて、そのように言ってあげられるパパが「すごいな」と感心してしまいました。
子どもは時おり「怖かった」と言い、私は「怖かったね」と抱きしめました。今でも「警察に捕まったかな~」とふと思い出したように言います。この出来事を「怖かった」だけで終わらせないためにも、子ども達と一緒に再度話し合いをしました。
子どもというのは、本当に不思議です。
連れていかれそうになった子どもは、姉たちに出来事を自分から話すと、姉たちは「ついていかなかったんだ、偉いじゃん」「どういうひとだった?」とかまるで普通に話すのです。私は、すでに「この出来事=痛い」ので口に出すのも嫌なのですが、案外子どもは気楽そうに会話をしているのでした。
そう、私も自分の中だけで考えたり思っていたら、イカン!!と感じました。
なので、話せそうな人に話しました。
でもだいたい、「それはやったらダメでしょ。(子どもを置いていくこと)」と真顔で言われるか、「今度はそうしないようにね」と言われました。
ま、普通ですよね、それが。
だいたい、自分でそう思っているからね。
で、最後に母に打ち明けました。すぐにでも話そうとしながら、もっと自分を責められたらたまらん!とどこかで思っていて中々連絡できずにいました。
母に話した後、「怖かったよー」と泣いちゃいました。
お前じゃなくて、子どもの方が怖かっただろう!!!
はい、そうです。
でも、私も怖かったのです。本当に。子どもを失ってしまうのではないかという恐ろしさ。
母は、「人間ていうのは、ふとした気のゆるみでイタイ失敗をしてしまうこともある。だけど、次は絶対大丈夫だよ(同じ失敗はしないという意味)」と言いました。
「大丈夫だよ」
涙が止まらなかった。
子どもの前では、母としてケアをしなくてはならない。だけど、私は未熟でもしかしたら子どもより動揺していたかもしれません。
沢山泣きました。そしたら、スッキリしました。
そして、ようやく冷静に考えられるようになっていきます。
子どもを失うかもしれない可能性に怯えてしまう出来事だったけれど、この先どのような事が起きるかは誰にも分からない。短命を選んでこの世に生を受けた子どもかもしれないのだから。自分よりも先に子どもが死ぬということは、恐ろしい。けれども、私がずーっとそばにいて守ってあげることはできない、それも事実。
では、どうしたらいいか?
「逐一行動を共にする!」
「行動チェック!」
「GPSを持たせる?」
・・・そんな親いたら嫌です。私なら。
じゃーどうすんの??
私が出した結論は・・・
子どもには、防犯の知識は定期的に話す。親の最低限のできることはする。
いつどうなってもいいように、日々を楽しく丁寧に過ごす!!
結局、いつかどこかで聞いたような言葉に戻るんだよね(^_-)-☆
でも、それしかないよ。本当に。
明日は誰にでも等しく来るとは限らないから。
生きる意味とブログ
少しずつ、少しずつ元気になってくると、子どもの楽しそうに話す顔も、遊ぶ姿も、秋模様の木々も全てが愛おしく思えてきました。
最近は、毎日毎日、自分の時間をどうやって作るか?
起業の為にどうやって進めるか?で頭がいっぱいでした。
日常の些細な出来事も流れるように過ぎていき、「自分のための何か」を必死に追いかけていました。
それは、それでよかった。
だけど、今回の出来事があって、ありきたりだけど、自分にとって「家族」とはとても大切にしたい存在である、ということに改めて気づきました。
「今」は「今」しかなく、「かけがえのない今」だということ。
私には、夢がありました。
1つは、家族を創造すること。
1つは、プリマリタルレッスンを通して、子どもの健全な未来を創ること。
家族を創造すること、楽しむ事。それは、私にとって、とても大切なこと。
忘れてたな~って。
そしたら、ブログで収益を狙おう!!という野心が萎んでいきました。
ブログで収益を狙うということは、「やり方」というモノがあります。
良質な記事を書く、人に役立つ記事を書く、記事数を増やす等。
一旦、時間が止まってしまって以来、「誰かの為に良質な記事を書く」というモチベーションがなくなってしまい、何も書けなくなっていました。自分が感じて書きたいことよりは、人に役に立つような内容を考える。毎日書く・・。
できない( ;∀;)
手が進まない。
ああ、気づいてしまった。
私は、自分の興味ワクワク、ドキドキにしか夢中になれないんだ。興味ないことはできん( ;∀;)
だから、無理には毎日記事書けない!!
自分が書きたい!と思わないと書けない!!
はぁ・・・(なぜため息 笑)
まとめ
収益を得ようとすると→
読者数が気になる→
読者のための記事を書く→
ヒットにつながる為に記事を沢山書く→
疲れる・・。
ワクワク感がなく「やらなきゃ!!」と切羽詰まる。
私には向いてない・・このやり方。
どうしよう、また気づいてしまった。
私のブログをやる意味は、「好きな本について共有したい」、「これは面白かったと発信したい」がある。
それに、あわよくば収益目指そう!!と思った。
収益を目指していると、途中から「お金を得られるためのブログ」を書こうとしていた。
だから、「誰かのための情報」を発信できないならブログを書いてはいけないような気がして何も書けないでいた。
自分にとって大変な出来事が起きたとき、自分にとって様々な事の真価が問われる。
私は何のためにブログをやるのか?
それは、ワクワクした本、いいなーコレって思った本を紹介したり、共有するため。
だから、毎日たくさん書けない。
ん、それでいい。(*’▽’)
やりたいと思う気持ちに正直でいたい。
これからも。
私にとって大切な家族の一秒を感じていたい。
そして、最後にまた「本」の紹介。この投稿を後押ししてくれた本です。
No.27「アサーション・トレーニング さわやかな<自己表現>のために」著;平木典子
起業に向けての勉強で「アサーション」を学んでいます。
この間も「アサーション・トレーニングベーシックコース」に参加してきました。
詳しくはこちら
この本は、日本に「アサーション」を紹介した平木典子先生の本です。
とても分かり易い表現なので、誰が読んでも理解しやすいと感じます。
「アサーション」って何?と思われる方もいらっしゃると思うので、簡単に説明します。
アサーションとは、自分も相手も大切にするコミュニケーション方法です。その方法とは、自分の「気持ち」や「想い」を素直に表現しながらも、相手の素直な「気持ち」や「想い」も「聴く」ということです。私の想いはこう!!と主張することだけでは足りませんし、それだけでは、相手に受け入れてもらえないですよね。
「アサーション」は、とても優しいし爽やかなイメージです。そして、学んで少しでも実践していくと、コミュニケーションでストレスを感じにくくなります。
「ついつい遠慮していわなかったり」「ボロクソ言われて何も言い返せなかった凹」「あの人メンドクサイから言わないでおこう」等、日常にありますよね。「アサーション」の考えは、自分の気持ちや想いに素直になり、表現すること又は表現しないと決めてしないことは、誰にも認められている権利なんだよ、というものです。例え、それが子どもでも。
私は、素直にこんな考え方があったんだ!!と驚きでした。
これからは、もっとSNSでのコミュニケーションが増えます。直接的なコミュニケーションが苦手になっていかないように、学校教育でも取り入れていくとよいな~と思います。
こちらの本もおススメです☆
左「子どものための自分の気持ちが<言える>技術」著;平木典子
右「アサーション・トレーニング 深く聴くための本」著;森川早苗
それでは、長くなってしまいました。
最後までお付き合いありがとうございました!!
ご自愛くださいね。