ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。

11月19日快晴

まだ、暑さが残る9月書店でこのような本を目にした。

ぼくたちが選べなかったことを選びなおすために。 著;幡野広志

パラパラとめくって、

家族のことが書いてあった。


ん・・?

しばらく立ち読み(3分以内!)

で購入した。

その時、私はこの言葉が気になったからだ。


家族をきる”




No,52「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」

「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために」著;幡野広志


著者である幡野広志さんとは、写真家である。多発性骨髄腫になり余命3年を告知される。

多発性骨髄腫とは、難治性のがんであり現代医療では治すことはできないようだ。

(以下国立がん研究センターがん情報サービス参照)

多発性骨髄腫とは、形質細胞のがんである。形質細胞とは、骨髄で創られる白血球の一種であるB細胞から分かれてできた細胞のことで、体内に侵入した細菌やウィルスの抗体をつくる役割もある。形質細胞ががん化して骨髄腫細胞になり、多発性骨髄腫を発症する。骨髄種細胞は、骨髄で増加し異物を攻撃する能力を失い、役に立たない抗体(Mたんぱく質)を作り続ける。

症状としては、造血抑制がされるため貧血、白血球の減少による感染症、血小板減少による出血傾向、骨髄種細胞に刺激された破骨細胞(骨を溶かす)が骨の組織を破壊し、骨痛や病的な骨折、脊髄圧迫による麻痺等が生じる。


 幡野さんの場合、背骨にできた腫瘍が骨を溶かしそれにより神経が圧迫され激痛が走る。仰向けで寝ることができず激痛のため睡眠をとることがままならない。

夜になるとソファに腰を掛け、毛布にくるまってうずくまり、30程度の睡眠ともいえない睡眠をとる。ほどなく激痛で目を覚まし、混濁した意識のまま、次の眠気がやってくるまで毛布のなかでガタガタと震える。それを数回繰り返せば朝だ。慢性的な睡眠不足から思考力は減退し、すべてがどうでもよくなってくる。願いがあるとすれば、痛みから解放されることだけだ。自然な流れとして、自殺という選択肢が脳裏をよぎる。

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。~そして、ぼくは旅に出るより引用

想像しただけでも、

とてもつらい。

想像するしかできないけど

胸がイタイ

がんになったことで、同じやり取りが幾度となく行われることが苦痛になりSNSでがんを告知しブログを書き始める。

その中で、様々な背景のある人からコメントが来るようになる。

「生きづらさを抱えた人たちに会いに行く。」

これが次への道になった。

様々な生きづらさを抱えている人たちの悩みは根底の部分では同じではないか、と思うようになる。

「心が蝕まれていくプロセス」を知りたい、対処法、特効薬代わりになる何をみつけたい。


様々な生きづらさを抱えている人を取材する中で、自身の家族にも触れる。家庭内暴力があり家庭が崩壊していたと。




取材をとおして、知ったのは、

生きづらさの根底にあるのは家族だった。

「どうすれば親子の問題を解決できるのか」

専門家では「赦す」というが、それは無理な話。

そして、著者は1つの答えを提示している。

「だから、ぼくは切るしかないと思っている」

関係の糸を断ち切る。距離を置くとか、境界線を引くことか、いろんな表現方法があるとは思うけれど、気持ちとしては強く「切る」。

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。~家族のかたちを選びなおすより引用

という選択肢があってもいいのではないかと。

子どもが親を助ける、赦すというのは間違っている。



家族は選べるのではないか?

また、筆者はNASAの家族の定義というものを紹介している。

「直系家族」と「拡大家族」

直系家族・・①配偶者②子ども③子どもの配偶者

拡大家族・・それ以外と親友も含まれる

子どもは親を選べないけれど、配偶者は選べる

自分の家族は選べる

自分を優先して

大事にして

ぼくらは親を選べなかったけど

自分の家族は選べるんだよ



というふうに


聴こえた。

生きづらさの根底には親子関係が深く関わっていた。

生きやすさの根底にも親子関係が深く関わっていた。

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。~あとがきより引用



死ぬことは生きること

私は、家族に興味があるので、この本でも「家族」を中心に取り上げたけど、

死ぬことについて

どのように死ぬか

死ぬにあたって

どのように死を迎えるのか

どうしてそう考えるのか

子どもに何を残し、何を残したくないか

まで考えが述べられている。



病気になるということが

自分に何をもたらし

周囲に何をもたらすのか



人は今が平安なら、「もしも」のことは考えない

あまりね

でも、もしそれが「もうすぐ」だったら

真剣に考えて

何かを残そうと

何かを残さないようにと

行動する



一気に世界が色濃くなる


筆者のことばが

生きる臨場感をたたきだす



だから、なんで私は生きてる

なんで僕は生きてる



何のために

だるい

くだらない

つまんない



そんな日常に飽き飽きしているなら


読んでみるといいかもしれない



死ぬことは生きること







思ったコト

筆者は、取材を通して生きづらさを抱えていることに親子関係が関わっていると分かり、どのように親子関係を解決したらよいかという命題に挑戦した。



筆者は、子どもが危険な状態にある家族には共通した点があるとしている。

「過保護で過干渉な母親と、仕事中毒で家庭に無関心な父親、聞き分けの良い子」

親子関係の解決に、筆者の出した解決は「関係を切る」特に、気持ちの上で「切る」ということであった。おそらく、生きづらさを抱えている人たちに、子どもが親を捨てるなんて!という世の中で子どもから関係を切るという選択肢があっていいのではないかと伝えている。

選択肢の提示。

私は、家族の勉強をした際に出たキーワードを思い出していた。

「情緒的遮断」


情緒的遮断(emotional cutoff)とは、人が源家族との融合やてん綿状態から情緒的に分離するために用いる言動である。

  • 密着している家族メンバーとの接触を回避する
  • 合法的家出(通学・通勤圏外の学校・大学・職場のある場所に移住等)により物理的に距離をとって、コミュニケーションを減らす
  • 同一化できる集団に帰依して家族を捨てる

言い換えれば、子どもが親離れの試みと受け取ることもできるが、同時に、生涯にわたる関係の遮断を意味し遮断は矛盾に満ちた関係を作り出す。

情緒的に傷つきやすい接触を避けることで、一時的に不安が軽減され、融合は解消されるが同時に関係を阻害し、自他を孤立化させることにもなるからである。

源家族(生まれ育った家族)で満たされなかった愛着関係は、第三者に向けられることが多く、そこで融合関係が生まれ機能不全を起こす可能性がある。


参考文献)

「家族の心理 家族への理解を深めるために」共著:平木典子・中釜洋子

「家族倫理学 家族システムの発達と臨床的援助」著:中釜洋子・野末武義・布柴靖枝・無藤清子





確かに、融合的家族の場合、親と生活を別にするだけでも心理的に落ち着いているようにみえることはあった。しかし、家族関係を切るだけではこれから続く自らの選択(配偶者)にも影響を与える可能性がある。

では、何が必要か。

私の提案は2つ

源家族(自分の育った家族)と自らを客観的に考察できること。マイナスもプラスも含めて一貫性のある歴史として語ること。振り返ることができること。



その状態になるにはどうしたらいい?

これは本当に難しい。

それこそ、環境や人に影響を受けて自己の洞察が深まるのだけど、

恋愛をするとより効果的かも。


それで失恋すること

これが結構大事

育った家族以外で人を愛して

愛し

愛されて


愛されて


自分の閉じ込めていたものが動き出す

顔を出す




苦しいけど


かおを出して来たら

もう出られる準備が整ったってこと

だから

チャンス


自分はどのように育ったか

どのような親だったか

親との関係で自分をどのようにつくってきたか

おじいちゃん、おばあちゃんはどうやって親を育てたか

おじいちゃん、おばあちゃんはどのように生きたか



自分の見えている世界が全てではなく

見えない部分で私がつくられていることまで想いを馳せること




あとは・・・


家族合同面接というものを受けて一気に片を付けるという方法もある。

一気に片をつけられるかは不確定だけど、

家族合同面接を受けると

家族各々の想いや

生きてきた軌跡を知ることができるかもしれない

自分の思い込みは単なる思い込みだったのかもしれない

自分の思い込みは、どのようにして作られたかわかるかもしれない

家族合同面接は、家族だけでは解決できない問題に取り組む。

日本で家族合同面接が出来る人が少ないのがイタイとこ。


逆さまにしてみたら

「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」が

「ぼくたちが全て選んだ結果が「今」で、これからも選び続ける」だったら


自分が育った家族は選べないけど、自分がつくる家族は選べる

自分の寿命は選べないけど、死に方生き方は選べる

自分が育った家族も全て選んだ結果が「今」で、だから「今」を~して(しないで)生きる

自分の寿命も全て選んだ結果が「今」で、だから「今」を~して(しないで)生きる。


それとも


自分の育った家族は選べないけど、自分がつくる家族は選べる

自分の寿命は選べないけど、死に方生き方は選べる




自分の育った家族は選べない(と思っていて)、(実は)自分のつくる家族も選べない

自分の寿命は選べない(と思っていて)、死に方生き方も選べない(と思っている)






あなたは

何を選ぶ?




It’s all up to you.

Follow me!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください