神の子
2018年夏㋇に入りましたね。
今朝、ラジオで「平成最後の夏」と言っていました!!
「!!!」
「そうだ!!」
「平成最後の夏だ!!!(‘ω’)」
「昭和」から「平成」に変わったときは、10代でしたが、何だか分からないけど不思議な感じがしました。
まあ、平成最後と言われても何をどうするというわけではないのですがね・・笑
さて、今日は久しぶりに「夢中になれる本シリーズ」で行きたいと思います。
book-小説
No.13 神の子 上・下
「神の子」上・下 著:薬丸 岳
驚異的な頭脳を持つ少年は、不遇な生い立ちを生き抜いた。
ただ1人友がいた。
その友と運命に翻弄されていくが、ここでもまた生きる姿から目が離せない。
人の温かさを知り、少しずつ何かが変わっていく・・。
テンポよーし、シリアス、熱い、先が読みたくなる!!!
面白い本に出会うと、その作者さんの本を調べて読む。薬丸岳さんの本は「天使のナイフ」の表紙に覚えがあった。しかし、あらすじを読んでみてもピンとこない。江戸川乱歩賞を受賞しているのだよね。また、手に取ってみたい。
上記したが、この少年かなり不遇な生い立ちを生き抜いた。「生き抜いた」という表現は、どういう意味かというと、まず文字通りよく死なずに生きた、生きるための行動ができたというべきか。もう一つは、「どうせ俺は~できない」という看板を持たず、目の前のことを受け入れ、考え、行動し、差し出された温かさを少しずつ受け入れることが出来たということ。それは、明晰な頭脳の持ち主だからと言われればそれまでなのだが。
不遇な生い立ちを生き抜く力を「リジリアンス」というのだが、長い人生において「最後はプラスマイナス0」ってきいたことはないか。以前も記したが、「人は生まれてくる前にどのような人生を生きるか凡そ決めてくる」が前提で、その目的は各々違うかもしれない。(あいをまなぶためだよー( ´∀` ))だとしたら、幼少期の暗い体験は、人生という「本」に例えるなら「序章」で、その後が「人生=この本」のクライマックス。それに気づけたら、「体験」そのものに呑まれてしまわないで、次の「本章」に入らなくては。
長らく「こころの分野」では、幼少期の体験がその後に及ぼす影響を強調してきたように思う。
この前提を持っていると、過去に囚われてしまう。
心理学では「他人と過去は変えられない」という。
けれど、ある人は言った「他人と過去は変えられる」
これってどういう意味なんだろうね。
それでは、また1つ楽しい旅を!!!
読んでいただきありがとうございました!!
暑い日が続きます。
ご自愛くださいね!